昭和29年田川工業株式会社として法人化を図り、その後建設業法による県知事登録及び
国鉄米子管理局の工事請負資格確認書の交付を受け、従来の鉄工業並びに総合建設工事請負
を施工し、さらにベンダー作業部門を新設し、冷間曲げ加工を行っていたが、昭和48年の
オイルショックにより受注激減順次改善を計る。
昭和53年10月、新経営陣を整え、代表取締役社長に安野次雄就任、社名を建鉄工業株
式会社に変更し、資本金1,000万円として操業、昭和57年12月100万円を増資し
資本金1,100万円として操業現在に至る。